A. はい、わたしは……。ということを初めての面接で長々と話した結果、初めてのお祈りをうけることになりました。わたしはどうにも話すとき、考えすぎてしまうところがあるらしく、想定される相手の質問をすべて潰そうとした結果、話しながら頭がめちゃくちゃになってしまいました。他の企業の人事の方とお話した際もこれについての指摘をいただいて、なんというか、会話って難しいですね、ということを考えています。簡潔な答えを持っておくことも必要でしょうけれど、今一度、グダグダした考えを整理するのも悪くはないかなあということで、お付き合いをお願いします。
これというきっかけというのはなかったように思います。ただ、研究室に配属されて半年を過ごす中で、形容しがたい苦しさを感じていたのは事実です。この苦しさには覚えがありました。小学生時代の夏休みの苦しさです。夏休みの宿題がずっとのこっているような感覚がいつ何時もあり、頭から離れませんでした。この苦しさというのは、自分で言うのも変かもしれませんが、ちょっと、良く言い過ぎかもしれませんが、責任感の強さに起因しているのではないかと思っています。
これ、わかりますか?これが本当に苦手なんです。わかってますよ。実際は本当にかなりなんでもやっていいのにもかかわらず、勝手にハードルを上げて、勝手に億劫になっていることはわかっています。ですが、わかっているからといって、どうこうできるわけではないんです。
アライグマっているじゃないですか。彼らは食べ物を洗うんですよね?(たぶん)それを見ていると、清潔にしたくて洗っているように見えます。しかしながら、たとえ彼らに清潔な状態の食べ物を与えたとしても構わず洗うはずです。それは彼らが理屈ではなく、習性として、生理的なものとして洗いをやっているからでしょう。わたしもそうです。わたしの習性が過剰なプレッシャーを与えて、そのために始めの一歩がなかなか踏み出せない。それをまた、習性が咎めて、すべての時間にサボりのラベルを付けてしまうんです。
このどうにもならない習性が暴走しない条件を見つけることが、わたしが人生を楽しく生きる鍵だ!今までの経験を振り返ると苦しいばかりではなく、むしろ楽しい時間の方が多かったように思います。例えば、高校の部活とかは、確かに苦しいこともありましたが“この”苦しさではありませんでした。アルバイト、これもかなり充実感を持ってやれています。面倒さはありますが、朝起きて、行ってしまえば楽です。あとは、グループ別の活動とか、楽しかったし、結構活躍できる機会が多かったように感じます。なんか、人の中で生きるのが好きかもしれない。一匹狼だと思っていたのに。ひしひしと感じてきたわけです。就職じゃね……?大学院受験一ヶ月前あたりの話です。
薄々気がついていたことですが、内面のアイデアを形にしたり目標を達成することより、他人とかチームとかの目標をもとに動くほうが、なんというか、気持ちいい。やっていて充実感があるような気がしています。めっちゃいい感じに表現すると「人のためになりたい」とかになると思います(実際は自分のためですが)大学院試験をうける前くらいから、このことには気がついていました。ただ、当時は単純に「試験をうけたくない」気持ちが化けて出ている可能性もあったので、受験をやめることはせず、そのまま受験に突入、結果はいかに……。
テメー院試くらい悩んでたって受かるんだよコノヤロー!!受かってしまった。どうしよう、本当にわたしが決めなきゃいけない話になってきました。落ちてたら落ちてたで、そういう運命なんだと思ってケロッと就活できたんですが、受かっちゃった。でも、まあ、合格してもなおモヤモヤしていたということが答えを教えてくれている感じはありました。そこから一ヶ月くらいは悩んでいるふりをしながらいろいろな人に相談をして、ステークホルダーの方々とも協議を重ねました。相談のなかでわたしからふいに出た、ちょっと良さげなフレーズがありまして、 これがふと、オナラみたいに出たとき。大げさかもしれませんが、人生の序盤部分の決算が出たような気がしました。恥ずかしいので内容は秘密にします。
うえーーん。まだ出てません。ただ、休学前の100倍くらい忙しくなりましたが、充実感というか、日々の楽しさも100倍になっています。なんか、色んな人と面談で話すの楽しい。楽しくてワロタ。これで結果がついてくればもっとワロタなので頑張っていきたいですね。
ところで、このブログ、エントリーシートとかの「作った作品」みたいな欄に貼ったりしています。このブログが原因でめちゃくちゃ落とされたりしたらどうしよう。